人工知能に関する断創録

このブログでは人工知能のさまざまな分野について調査したことをまとめています(更新停止: 2019年12月31日)

錬金術と人工知能

コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判 を読み終わった。少し難しいがなかなか面白かった。著者のドレイファスは「人工知能は錬金術に似ている」という発言をしたが、それについて面白い文章が載っていた。まずは、人工知能研究者のファイゲンバウムとフェルドマンの陳述。

アーマーによって示唆された連続的知能という概念によれば、われわれがこれまで書くことのできたコンピュータ・プログラムは、依然として低次の目的である。重要なのは、われわれが人間知能を表現するという画期的事件に向けて絶えず歩みを進めることである。われわれがそこに至りえないとする根拠が何かあるだろうか。何もありはしない。この連続体について、越えられない障害を示すような一片の証拠、論証、証明、定理も、いままで何も提示されてこなかったのである。
p.514

次は、この檄の15世紀版。

パラケルススの考えた諸実体の連続体に関連づけて言えば、われわれが行うことのできた粗悪な金属への変態は依然としてレベルの低いものである。大事なことは、画期的事件に向かって、つまりどんな要素でも別のものに変えることのできる賢者の石に向かって漕ぎ続けることである。われわれにそれを見つけることができないとする根拠があるだろうか。ありはしない。一片の経験的証拠も、論理的論証も、証明とか定理も、この連続体沿いに越えることできないハードルが一つでもあるということを実証したものは、これまで何も示されてはいないのである。
p.585

・・・次に、他の個所からの引用。

錬金術師は泥のようなものから水銀を蒸留することに成功した。彼らはその大成功のために、鉛を金に変えるためのむなしい努力を数百年続けた後でも、化学的レベルでは金属の性質を変えることはできないと信じることを拒否したほどだった。しかし彼らは―副産物としてではあるが―炉、レトルト、坩堝などを発明した。これは人工知能研究者にそっくり当てはまる。彼らは人工知能を生み出すことには失敗しているが、アセンブリ・プログラム、デバッグ・プログラム、プログラム編集プログラムなどを開発してきたし、MITロボット計画では非常にすばらしい機械腕が作られたのである。
p.515

なるほど、対比としてはよく似ているようにも思う。「水銀を蒸留することに成功した」に対応するのは、たぶん、人工知能初期の研究の成功だろうな。