ヴァレンティーナ―コンピュータ・ネットワークの女王
ってSFを読んだ。
ヴァレンティーナ―コンピュータ・ネットワークの女王 (新潮文庫)
- 作者: J.ディレーニイ,M.スティーグラー,小川隆
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1986/07
- メディア: 文庫
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ヴァレンティーナは、考え、感じ、話すことができる「コンピュータプログラム」という設定。ロボットじゃなくて、実体を持たないプログラムってとこがこの話のみそ。ヴァレンティーナはワームで、ネットワーク中を渡り歩く。ファイルから世界の知識を学習し、OSから計算時間を盗み、プロセス停止命令に抵抗する。
この話の面白い点の1つめは、「プログラムの立場から見た」コンピュータの中の様子、ロボット、人の世界を詳しく描写しているところ。プログラムにとって人はどう見えるか?プログラムにとってスラッシングやページングはどう感じられるか?プログラムにとって並列計算機はどう感じられるか?など。SF作家の想像力はすごい。
面白い点の2つめは、人工知能の大きな問題点である記号接地問題を扱ってるところ。ヴァレンティーナはプログラムなので世界の知識はあっても実感がない。世界について理解ができない部分がたくさんある。
ヴァレンティーナ、きみは人生に何を望んでいるんだい?
物事を理解したいわ。あなたたちの世界の物事を理解したいの、きっと不思議で美しいところでしょうからね。
なるほど。きみが理解していないことって、ひとつ例をあげてくれないか?
色よ。それと虹。
きみが理解していることには何がある?
(涙)や(キス)を理解しているつもりよ。
pp.299-300
身体を持たないプログラムに知能を持たせることができるのかってのは昔よく議論されてたらしい。"記号"しか扱えないプログラムに世界を理解できるのか?記号と世界の対応はつけられるのか?など。今の人工知能研究が身体性を重視し、ロボットを用いた世界との相互作用を扱う方向に向いているのもそこら辺が関係している。
そんな"記号"しか理解できなかったヴァレンティーナが1回だけ現実世界に出てくる場面がある(どう出てくるかは・・・読めばわかる)。世界をどう感じたのか?
この世界はとても鈍く、とてもぶかっこうで、とてもうるさく、とてもきたなく、とても非モジュール式だった。それに、とても・・・・・・謎めいていて、暴走したシミュレーションに思えた。
ヴァレンティーナは、この世界で(微笑む)ではなく微笑む、(凝視)ではなく見つめる、(キス)ではなくキスを理解する。
(理解する)とはどういうことか理解できなくなるような話だった・・・