役に立つこと
以前、研究室に配属されたときの宴会で人工知能の研究がしたいと言ったら、先生に「脳を作ったら何の役に立つのか」という問いを受けたことがあった。その時は、「脳(のモデル)を作ることで、現実の脳がどうなっているのかを知る手がかりになる」という良く言われているようなことを答えた。
それから、少し考えてみたのだが、「役に立つ」というのは、良いことだがそればかりを追求するのはどうかなという思いが絶えず浮かんでいる。例えば、偏見かもしれないが、天文学や物理学で宇宙の果てがどうなっているかということを調べても実社会には何の役にも立たないだろう。それなのに、それに生涯を捧げて研究している人もいるのはなぜか考えた。
科学というのは、「未知のものを探求する学問」だと考えているから、未知のものがなくなるまで続くはず。知能とか心とか感情とか生命とかというのは、現在では多分未知のものだから、未知じゃなくしたいというのが人情!つまり、「役に立つ、立たない」という前にそれが何か知りたいというのが先行していると思う。
情報「工学」はもちろん面白くていろいろ作るのは楽しいが、情報「科学」もそれ以上に面白い。情報工学を専攻したから、たまたま方法論が工学的で何かを作るが、結局は、作ったものが役に立つかではなくて、ただそれを元にして未知のものを知りたいからというだけではないか。
ついでに産学協同を推進するという話で、企業の利益になるものだけしか研究しなくなるというような批判が出された、という記事を読んだことがあるような気がする
予算とかも考えたことがない人の戯言になってしまった。現実はそんなことを言っていられないくらい厳しいものなのだろう。特に国の予算を使ってるならなおさら。
趣味ならいくらでも好き勝手に自分のしたいことを追究できるんだけどね。プロの研究者がそれじゃやっぱまずい・・・