エリザベトのつっこみ
コンピュータウィルスはパソコンを破壊できるか?(2005/7/22)の続き。
デカルトは二元論者で精神と身体は独立したものだとした。ここに突っ込みを入れたのがエリザベト王女だ。
(思惟実体にほかならない)人間の精神は、いかにして身体の精気が意志的な運動をするよう決定し得るのか、どうかお教え下さい
(中略)
精神に物質や延長を認める方が、非物質的なものに物質を動かしたり動かされたりする能力を認めるよりも、わたしにはより容易であると白状いたします
ロボット学創成、p.145
デカルトの言うように精神と身体が独立ならなぜ精神は身体を動かすことができるのだろうか?これが心身問題と言われる哲学上の重要な問題だ。このつっこみが原因で(?)デカルトは脳の松果体ってところが精神と身体を結びつける役割をしているとかいう説を出したのかな?ちょっと前後関係がわからないのだけど。まあそれは後々調べることにしよう。
ここで考えたいのは、エリザベトの上のつっこみが正しいのかどうかだ。非物質的なものに物質を動かすことはできるのかできないのか。それが問題だ。
私は情報系なので精神・身体ではなく、ソフトウェア・ハードウェアというもっと身近なものに置き換えてみた*1。コンピュータウィルスはパソコンを破壊できるか?(2005/7/22)でコメントがもらえて考えてたが頭がこんがらがってきた。ソフトウェアでロボット動かせるのは非物質的なものが物質を動かせる例として正しいのだろうか?
疑問点をまとめると
- ソフトウェアは物質的なものか、非物質的なものか?
- 物質の連鎖的な動き(電気の規則的なオンオフ)の結果としてソフトウェアが生じるのか?
- 逆にソフトウェアが物質の連鎖的な動き(電気の規則的なオンオフ)を制御してるのか?
鶏と卵の問題っぽいなぁ。ソフトウェアって何なんだろう。というかそもそも情報って何だろう。
ソフトウェアを非物質的なものと考えたら心身問題なんてもう解決しちゃってるよーな気がするのだけど*2。だって非物質的なもの(精神・ソフトウェア)で物質的なもの(身体・ハードウェア)を動かせることが工学的に証明されてるわけだし。逆に物質的なもので非物質的なソフトウェアが生じることも示せてるわけだし。