第二性質とクオリア
昨日の続き。今日は経験主義者ロックのところを読む。ロックは、私たちが持っている観念(=概念?)は、私たちがかつて感覚したことのあるものの反映にすぎないと考えたそうだ。
たとえば、私たちがリンゴを思い浮かべると、赤い、丸い、小さい、甘酸っぱいとかいう概念がすぐ頭に思い浮かぶ。このような概念はいくつものリンゴを食べるという経験を重ね、似たような感覚を積み重ねてやっと作られたものだという。ロックは経験主義者であるため感覚というものを重視している。
ロックは感覚の性質を、彼の呼び方によると「第一性質」と「第二性質」に分けた。(中略)ロックは第一性質ということで延長、つまりものの重さ、形、動き、数のことを考えている。こういう特性については、感覚がものの本当の特性を再現していると、信じていい。でも、ぼくたちがものから受ける特性はまだある。ほら、ぼくたちは甘いとかすっぱいとか、青いとか赤いとか、温かいとか冷たいとか言うじゃないか。こういうことをロックは第二性質と呼んだ。色や匂いや味や響きのような知覚は、物体そのものにそなわっている本当の特性を再現してはいない。こういうものは物体の外的な特性がぼくたちの感覚にあたえた結果を再現するだけなんだ。
ソフィーの世界、p.334-335
確かこれに似た話はどっかで聞いたことあるぞ・・・そうだ、クオリアだ!人間の主観的な感覚のこと。茂木健一郎さんの本とかでよくでてくる最先端の脳科学の話題。現在の最先端の問題も哲学では結構前から議論されてるんだなー。驚いた。
人工知能でも、感覚を通した経験を繰り返して概念を学習するっていうアルゴリズムは前にどっかで聞いたことがある。こういう概念学習の方法はわりとすんなり受け入れられる。自然な気がする。何度も試行錯誤を繰り返して経験を重ねるうちにうまく行動できるようになっていくという強化学習に惹かれたのも同じ理由からだと思われる。