人工知能ができない理由
人工知能には強いAIと弱いAIという2つの立場がある。「知的であるかのように行為する機械を作れるか?」という問いに対して、できるという主張を弱いAIと言う。一方、知的に行為する機械は本物の、意識的な心を持っているという主張を強いAIと言う。おのおのに対していろいろな方面から批判が出されている(数学、物理学、哲学、心理学、果ては神学)。この2つの立場は別に対立するものではなくて、強いAIを信じながら弱いAIを信じないということもできる。知的に振舞う機械は作れないと信じながらも、もしできたらそれは意識を持つと認めればよい。
おのおのの立場に対する批判をまとめてみると面白いと思う。そうなると、情報科学ではなくて哲学よりにいってしまうかもしれないけれど、本当にこの分野に入るときは大事になってくるに違いない。でも、哲学の議論は抽象的すぎて難しい。