人工知能に関する断創録

このブログでは人工知能のさまざまな分野について調査したことをまとめています(更新停止: 2019年12月31日)

AIBO

今日、自分の所属している研究室にAIBOが来た。ROBODEXなどで間近で見たことはあったけど触るのは始めてなので面白かった。ロボットのプログラムとか興味があったので調べてみたい。

今日結構長い時間見てたのだけど、当然のごとく心や感情(とは何かもよくわからないが)があるように見えないし、感情移入もできない。一方、本物の犬や猫には心や感情があるように見えるし、感情移入もできる。この違いは一体何なのか。どこにあるのか。それが気になる。感情移入とかはあくまで主観で人によって違うので別の意見があるのは当たり前だが、ここでは「自分の」考えを整理してみる。

見た目がいかにも非生物っぽいからか?

もしAIBOの見た目が本物の犬や猫にそっくりだったら自分としては感情移入できそう。動きがぎこちなくても。例えば本物の犬や猫にそっくりなぬいぐるみは全く動かなくてもある程度感情移入できそう。見た目は大事だろう。どのメーカも見た目が本物の動物そっくりなロボットをなぜ作らないのか疑問に思う(確か猫のはどっかで見たことあるような気がするが)。そっちのが売れるような気がするなぁ。

目の前で再現されている行動は、誰かがプログラムしたものと知っているからか?規則的な反応しかしないからか?

これはかなり大きな理由だと思う。だからこそプログラムされた以上の能力、あるいはプログラマが予期しないような行動の「自律的な」獲得を目指す機械学習に惹きつけられる。

人工の「心」や「感情」なんてないと思っているからか?

あまり認めたくないけど、「心」の奥底ではそう思っているのかもしれない。だから将来AIBOが本物の犬や猫と全く区別できない行動ができたとしても、「あぁ、あれロボットだから心や感情なんてないよ」って思ってしまいそう。さらに言えば、人間と全く同じように行動するロボットができても同じように思ってしまいそう。

人工知能ができない理由(2002/5/28)に強いAIと弱いAIの区別について書いた。強いAIは知的に行為する機械は本物の、意識的な心を持っているという主張する。一方弱いAIは知的であるかのように行為する機械は作れるが意識的な心は持っていないと主張する。この主張の相違は「心」の捉えかたにあると思う。「心」が何かはわからないけど、現在の自分は弱いAIの側だと最近感じる。