マインズ・アイ
チューリングテストについて考えたこと(2002/6/10)で他人が知能を持っているかどうかは、見かけからしか判断できない。機械もまた同様ということを書いたが、『マインズ・アイ』という本にも同じことが書いてあった。この問題は「他者の心の問題(他我問題)」と呼ぶらしい。
- 作者: ダグラス・R.ホフスタッター,D.C.デネット,坂本百大
- 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
- 発売日: 1992/11
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 31回
- この商品を含むブログ (24件) を見る
自分自身に関しては、われわれは内面的営みと、外から観察可能な行動との一致を直接観察することができる。しかし、もし、独我論を厳格に超克したうえで一歩を進めようとすると、われわれはただちにある一つの明らかに不可能な作業をなしえなければならないことになる。すなわち、他人において、その内面と外面が一致しているということを確認する作業である。彼ら自身がその内面と外面が一致していると告白したとしても、この問題に対しては何の役にも立たない。
(中略)
もし、利発につくられたロボットが彼自身の内面的営みについてわれわれに語ることができた(らしい)とするならば、(すなわち、適切なコンテクストの中で適切なノイズを発することができたとするならば)、その時、このロボットを意識をもつもののグループの中に入れるということは正当なこととなるであろうか。
(中略)
しかし、その時、われわれはどうして、われわれがからかわれているのではないということを証明することができるのであろうか。かくして、問題は次のようなものとなるだろう。すなわち、そのロボットの特殊な内面の燈火は本当に点されているのだろうか。あるいは、そこには単なる暗闇以外の何ものもないのではなかろうか。
もし、機械に意識を持たせたい、という段階まで進んだとしたら、この問題は避けて通れないと思う。結局は、人がその機械をどのように捉えるかという判断によってしまうのではないか。
チューリングテストの論文はこの本にも収録されていた。人工知能初期の論文は本になっていることが多い。