人工知能に関する断創録

このブログでは人工知能のさまざまな分野について調査したことをまとめています(更新停止: 2019年12月31日)

あしたのロボット

っていう瀬名秀明さんの小説を読んだ。

あしたのロボット

あしたのロボット

ロボット入門(2003/2/22)でロボット21世紀って本を読んだが、その調査をもとにして小説を書いたらしい。人工知能やロボットを扱った短編5本が入っている。

この中で特によかったのが、「亜希への扉 こころの光陰」って短編。

以下完全ねたバレ。亜希って女の子が捨ててあるロボットを拾う。亜希はロボットをロビイと名付け、本当の友だちのように接していた。一方、ロボットの方も学習・成長するようにプログラムされていて、今のロボットよりずっと人間らしくふるまえた。そんな亜希だが数年するうちに気づいてしまう。ロビイがただのプログラムだってことに。

昔はあんなに楽しかったのに。ロビイがわたしのことわかってくれていると思ってた。人間みたいな心じゃなくても、ちゃんとロボットの心を持っていて、わたしが話していることがわかると思ってた。いまはもう同じ言葉しか返してくれない。同じ反応しか寄越してくれない。

(中略)

でもロビイを飽きることなんてできない!友だちだったのに・・・!

p.310

もうひとり、名前もない脇役の男性だけど、彼も同じような問題で悩む。以下のセリフには衝撃を受けた。

AIBOもハルも買いました。ずっとひとり暮らしが続いていて、夜も遅かったですからね。帰ってきたらロボットが玄関で待っていて、ぼくの顔を見て喜んでくれる・・・。そんな光景を勝手に期待していたんです。だから失望が大きかった。あなたなら知っているでしょう。赤いボールが好きになるというけれど、見せながら頭のタッチセンサを何度か叩いてやれば、途端に見向きもしなくなる。見え透いていたんですよ、何もかも。それならいっそ、ぼくが見切る前に死んでほしいと思いました。こちらが飽きる前に動かなくなってほしい。どうせなら、ちゃんとこちらを泣かせるくらいの死に様を見せてほしい。だからぼくは死のプログラムを書いたんです。徐々に身体が弱って、記憶が衰えて、衰弱死するような、そんなプログラムをね。

(中略)

一度死んだら、また再起動しようという気になれないんですよ。これからのロボットには、死のプログラムが必須になります。賭けてもいい。死はぼくらを、永遠の友情という地獄から解放してくれるんです。

pp.315-316

こういうの読むと、人とロボットのコミュニケーション技術(感情表現技術とか)ってのは、巧妙なトリックで人ををだます技術なのではないかとか考えちゃう。だまされ続ける人は幸せ、真実を知った人は失望する。パーソナルロボットとか癒しロボットとか買う大人はもの珍しさが優先でそんなことマジメに考えないと思うけど、亜希みたいな小学生くらいの子供だと感情移入してそういうことも十分ありそうだと思った。

ロボット犬は本物の犬に代われるか(上)
ロボット犬は本物の犬に代われるか(下)