人工知能に関する断創録

このブログでは人工知能のさまざまな分野について調査したことをまとめています(更新停止: 2019年12月31日)

形式と内容-内容指向人工知能研究の勧め-

「AIマップ-形式と内容-内容指向人工知能研究の勧め-」へのコメントと回答という論文(人工知能学会誌, Vol.11, No.1)を読んだのだがとても興味深かった。人工知能研究のあるべき姿みたいな内容。今後の研究姿勢としても考える価値があることなので記録しておく。

前に、役に立つこと(2002/2/28)で偉そうなことを書いたがそれにも関係がある話だった。

溝口理一郎氏は次のように書いている。

人工知能は純粋科学ではない。したがって、学問的な夢を追い続けるだけでは十分でない。実社会から期待される技術を提供しつつ、そのことを通して科学としての学問の進展を促進するという二つの側面は、工学系の学問として成立するために不可欠な車の両輪であるということをまず確認しておきたい。

(中略)

学術活動の活性化にはエネルギーが必要である。その最大の原動力は研究のおもしろさにある。しかし、それだけでは不十分である。学術活動に対する周囲からの要求に応えることも、同じように必要である。学問には、宇宙物理学のように「わかる」ことだけで人類の知的好奇心が満たされ、それが「何の役に立つのか?」という質問に答える必要がない学問と、その質問を無視することができない学問があり、人工知能研究は残念ながら後者に属するのである。

また、溝口氏の人工知能研究に対する立場として、次のように書いている。

学問が健全であるためには、その方法論の進化が着実に当初のゴールの達成に貢献することが実感できなければならない。

(中略)

高すぎるゴールは、研究を健全に進めることに貢献しない。不健全さはさまざまな問題をひき起こす原因となる。筆者には、「人工知能」をつくるなどというだいそれたことをいわないほうがよいように思われる。「人工知能」は遠すぎる目標であることを明言してはどうだろう。

(中略)

「(人工知能の目的は)ある制限された問題に対して、知的に振舞うシステムをつくるための理論と技術に関する研究」で十分ではないだろうか。

部分的に抜き出しただけなので、全文を読まないと誤解されてしまうようなところもある。この問題は人工知能は科学か工学かという問題が根底にあるように思う。溝口氏は工学よりと取れる。ただし、「不可欠な車の両輪」というところから科学の面を否定しているわけではない。つまり、バランスが大切だとも述べている。

一方、北野宏明氏は溝口氏の意見に対して、

工学は「動いてなんぼ」の世界であり、「役に立つ技術が良い技術である」という結果主義の世界である。

(中略)

AIの研究から得られた発想や技法は大切であるが、「現場で働くシステム」を作るとなるとAIなどとはいっていられないのである。AIシステムを作るなどという要求は現実には存在しないのであって、あるシステムを作るときに、そのような技術が使えるかが問題である。AI研究から派生した技術でも、使えるものは使えばよいのである。よって、AI研究から派生した技術は、隠し味程度であれば十分であると考えるのがよい。

(中略)

もしそれ(人工知能)が、人間と同じような知能(欠点も含めて)持つシステムを意味するなら、経済的有用性はない。人を雇ったほうが安いからである。

とAIの工学的な応用に同調し、産業としては人工知能を作るという目標には問題があると述べている。しかし、AIの科学的な面も捉えていて、次のようにも言っている。

科学者は、鳥を見て、鳥がいかに飛ぶかの機構を研究し、工学研究者は、鳥ではなく、飛行機を作る。哲学者は、鳥にとって飛ぶとはどのような意味があるのかを論じ、作家は「カモメのジョナサン」を書くのである。

(中略)

「人工知能研究に、科学としての側面はないのか?」という疑問である。確かに、工学的側面は大きく、ほとんどの研究は工学として行われているということも事実である。しかし、私は、人工知能の研究には、知能の本質を、合成的理解というアプローチで研究するという側面もあると考える。鳥を見て、鳥がいかに飛んでいるかを研究しようということである。

(中略)

人工知能という分野のなかには、純粋に工学的な研究と、科学的な研究の2種類があり得るといっているのである。

(中略)

人工知能に、科学的研究があるなら、それは、知能の基本原理を探るという目的になるであろう。確かに、知能は、少数の原理で記述できるような対象・現象ではないと思われる。しかし、原理がなにもないわけではないであろう。それならば、その原理とは何かを探ることは重要な研究であると考えられる。

(中略)

溝口先生は、人工知能の目標は、それが到達できない目標ゆえに不健全であると述べている。物理学は、物質と空間に関する理解という、大きな目標のもとに発展してきたし、生物学は、生命現象の理解という目標のもとに発展してきた。それらは、簡単に到達できない目標であり、いまだに完成はしていない。しかし、物理学や生物学が、不健全であるというものはいないであろう。人工知能の科学的側面、つまり、知能の合成的理解という目標が、それらの学問の目標設定に比べて不健全であるとは思えない。

(中略)

人工知能を工学として捉えるなら、私は溝口先生の主張にほぼ同意できる。しかし、人工知能に科学的研究の側面があることも見逃してはならない。科学的研究の成果は遅かれ早かれ工学分野に大きなインパクトを与えるのである。

と人工知能の科学的側面の重要性も強調している。